2019年02月03日
ジームクント・フロイト③
ジームクント・フロイト③

彼は一体、誰でしょう?
カール・グスタフ・ユングです。
そうです。
スピリチャル系の人が大好きな、無意識とか潜在意識(せんざいいしき)とかの、ユングです。
えっ、今回は、フロイトですよねって思いますが、後々の予告みたいなものです。
なぜ、ここで、ユングかと言うと、やっぱり「無意識」「潜在意識」「集合的無意識」とか、
を、カタルシス(語る死す)するには、フロイトから、しっかり学ばないと、
カタルシスになるよって、私なりのダジャレを言いたかっただけです。
真面目に、続きます。
無意識を語るには、まず、意識って何?
からはじめなくてはいけないようなので、地道に勉強してみましょう。
と言うわけで、フロイトに戻ります。

若い頃の、フロイトです。

前列の、左側にフロイトがいます。
前列の、右側がユングです。
まぁ、二人関係は、ユングまで待っていてくださいね。
では、意識って何?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
意識(いしき、Consciousness)は、
①「一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」
意識がない場合は、アントニオ猪木を呼んで、「起きてますかー」
とビンタを受ければ、覚醒するでしょう。
②「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」
まぁ、空気が読めている人のことを、意識があると言うのでしょう(笑)
では、意識を意識したのは、誰なんでしょう?
「意識」とは、人間一般において、
「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる。
一回では、良く分かりません。
「自分が、意識していると、意識している時に、自分が、俺、いるぜ、すげぇ」と思うこと?
それは、実は、大発見だったんです。
あの、有名な言葉です。

ルネ・デカルトです。
もう、いろんな人がどんどん出てきますが、しっかり勉強します。
デカルトさんは、真理の探求をしていたんですね。
真理とは、本当の事。間違いでない道理のこと。
「我思う、ゆえに我あり」って、なんでこんなに有名なのかと言うと、
この真理の探求を、簡単に言うと、人間としてやったからなんですね。
デカルトさんの時代は、「信仰」(しんこう)による、真理の探求だったんです。
神さま、仏さま、から、教えてもらうような感じです。(スコラ哲学)
別に、デカルトさんは、信仰心がなかったわけではなく、
人間の持つ「理性を用いて真理を探求していこうとしたのです。
(理性のことを、自然の光と言っています)
「我思う、ゆえに我あり」
近代哲学の出発点を簡潔に表現している。
だから、デカルトが「近代哲学の父」と称されているんですね。
私なりに、
「自分は、意識していると、意識している。その自分は、絶対にいるぜ、すげぇ」
と、思ったんですねぇ。
「でも、それって、あなたが思っているだけでしょ」って言われてしまいます。
このように意識は、主観的に把握されていますが、
近代に成立した「科学」がその研究対象とするには、
客観的な規定としては適切ではなく、曖昧でした。
さらに、定量的把握も困難です。
「なんでも数字にしなければならないとは、、、悲しいですが、、、」
そして、
心理学においても、意識は科学的に定義されないとして、
刺激と反応で心理学を築こうとした「行動主義心理学」などが出現したそうです。
「行動心理学」については、また、後ほど調べるとして、
現在でも心の概念と同様、意識の概念も主観的に把握されるものに過ぎず、
その存在を客観的に把握するのが難しいものであると考える心理学派もあるそうです。
でも、心って、あるもんと、気楽にいきましょう。

彼は一体、誰でしょう?
カール・グスタフ・ユングです。
そうです。
スピリチャル系の人が大好きな、無意識とか潜在意識(せんざいいしき)とかの、ユングです。
えっ、今回は、フロイトですよねって思いますが、後々の予告みたいなものです。
なぜ、ここで、ユングかと言うと、やっぱり「無意識」「潜在意識」「集合的無意識」とか、
を、カタルシス(語る死す)するには、フロイトから、しっかり学ばないと、
カタルシスになるよって、私なりのダジャレを言いたかっただけです。
真面目に、続きます。
無意識を語るには、まず、意識って何?
からはじめなくてはいけないようなので、地道に勉強してみましょう。
と言うわけで、フロイトに戻ります。

若い頃の、フロイトです。

前列の、左側にフロイトがいます。
前列の、右側がユングです。
まぁ、二人関係は、ユングまで待っていてくださいね。
では、意識って何?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
意識(いしき、Consciousness)は、
①「一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」
意識がない場合は、アントニオ猪木を呼んで、「起きてますかー」
とビンタを受ければ、覚醒するでしょう。
②「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」
まぁ、空気が読めている人のことを、意識があると言うのでしょう(笑)
では、意識を意識したのは、誰なんでしょう?
「意識」とは、人間一般において、
「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる。
一回では、良く分かりません。
「自分が、意識していると、意識している時に、自分が、俺、いるぜ、すげぇ」と思うこと?
それは、実は、大発見だったんです。
あの、有名な言葉です。

ルネ・デカルトです。
もう、いろんな人がどんどん出てきますが、しっかり勉強します。
デカルトさんは、真理の探求をしていたんですね。
真理とは、本当の事。間違いでない道理のこと。
「我思う、ゆえに我あり」って、なんでこんなに有名なのかと言うと、
この真理の探求を、簡単に言うと、人間としてやったからなんですね。
デカルトさんの時代は、「信仰」(しんこう)による、真理の探求だったんです。
神さま、仏さま、から、教えてもらうような感じです。(スコラ哲学)
別に、デカルトさんは、信仰心がなかったわけではなく、
人間の持つ「理性を用いて真理を探求していこうとしたのです。
(理性のことを、自然の光と言っています)
「我思う、ゆえに我あり」
近代哲学の出発点を簡潔に表現している。
だから、デカルトが「近代哲学の父」と称されているんですね。
私なりに、
「自分は、意識していると、意識している。その自分は、絶対にいるぜ、すげぇ」
と、思ったんですねぇ。
「でも、それって、あなたが思っているだけでしょ」って言われてしまいます。
このように意識は、主観的に把握されていますが、
近代に成立した「科学」がその研究対象とするには、
客観的な規定としては適切ではなく、曖昧でした。
さらに、定量的把握も困難です。
「なんでも数字にしなければならないとは、、、悲しいですが、、、」
そして、
心理学においても、意識は科学的に定義されないとして、
刺激と反応で心理学を築こうとした「行動主義心理学」などが出現したそうです。
「行動心理学」については、また、後ほど調べるとして、
現在でも心の概念と同様、意識の概念も主観的に把握されるものに過ぎず、
その存在を客観的に把握するのが難しいものであると考える心理学派もあるそうです。
でも、心って、あるもんと、気楽にいきましょう。
Posted by ノボブ at 23:31│Comments(0)
│公認心理師