お金は無限に発行できる 第三章 お金の正体

ノボブ

2022年06月27日 15:35



第三章 お金の正体

お金とは何か?

問いかけは、世界を開く鍵です。

お金を考える時、貨幣とか、金貨とか、預金とか、紙幣とか、現金とか、通貨と言うように、色々な言葉がでてきます。

お金を示す言葉が多くあるのと同じように、多様な解釈も存在します。私たちは、お金を空間的な広がりで見たり、時間や思考なども含めた、様々な概念で、人生に関わる用語で表現することも多いです。

この本では、お金を、現金と預金、紙幣と硬貨のように分けて考えないといけない場合があります。貨幣と硬貨が、同じ意味で、使われていたり、貨幣が、お金全体を差していたり、最初は、混乱するかもしれません。

読み進めていくと、何となく、その使い分けが、分かるように、書きました。

お金とは何か?

まずは、お金の歴史的事実を、思い出してみましょう。●

昔は、希少価値が高いモノをお金として使っていました。

1971年まで、お金はモノでした。

そして、現代のお金はモノではなくなったのです。

では、昔の、モノとしてのお金について考えていきましょう。

金貨や銀貨が、それです。

貝殻や、塩、香辛料だったと言う話もあります。

ここでは、分かりやすく金貨で話をすすめましょう。

金貨は、金(きん)そのものに、価値があります。

金貨は溶かして金塊にしても、物質として、金(きん)そのものとしての価値があります。

ですから、金貨の価値は重さが基準になります。

日本で言うところの金貨は小判です。

時代劇をみていると、千両箱や小判が、出てくるので知っているはずです。

千両と言うのは、小判が1,000枚です。

小判1枚を一両、2枚を二両と数えているのです。

金一両の「両」は、当時の重さの単位で、現代のキロやグラムと同じです。

つまり、小判1枚を一両、2枚を二両と重量を計っていたのです。

一方、現代のお金である一千万円は、壱万円札が1,000枚です。

目の前に、千両箱と一千万円があるとします。

それを、何百年前の世界に持って行ったらどうなるでしょうか?

千両箱の中身は金塊と同じですから、それ相応の価値があるでしょう。

小判1,000枚は、金の重さに価値があるため、時代を超えても、その価値は失われないのです。

かたや、一千万円の紙幣は、印刷やデザインが珍しいので、多少の価値はあるかもしれませんが、ただの紙切れにすぎません。

小判は、材料である金(きん)そのものの価値を、お金として利用しています。

しかし、壱万円の材料は紙とインクです。多分、材料、モノとしての現代価値は十数円程度でしょう。壱万円は小判とは違い、モノとしての価値はほとんどありません。



とても重要なことなので、もう一度言います。

金一両の「両」は、当時の重さの単位で、現代のキロやグラムと同じことなのです。

しかし、現代のお金は重さで取引されてはいません。

それは、現代のお金がモノではない、重要な証拠になります。●

●現代のお金は、その数字に意味があります。

千円札と、1万円札の違いは、0が一個多いだけです。

確かに、壱万円札は紙で、100円玉は金属なので、どちらもモノだと言えます。それでも、小判は価値のあるモノとしての金(きん)である限り、それとこれとは全く別の話になります。【※次元が違います?】

このように、高い価値があるモノをお金として利用することを、私は「物質貨幣論」と呼びます。面白く、「モノ・マネー論」と言う先生方もいます。

皆んなが欲しがるモノがお金になり得ると言う話です。

小判(金)は、とても価値あるものですから、江戸時代のお金として申し分ありませんでした。

ただ、いくら小判(金)に価値があるからと言っても、モノはモノです。

結局は、小判を使った取引も、物々交換になります。

例えば、大介さんが、花子さんの育てた大根を小判で買ったとします。翌日、花子さんは、大介さんが釣ってきた魚を小判で買いました。

ここでは、モノ(大根)とモノ(小判)、翌日もモノ(魚)とモノ(小判)との交換でした。

大根と魚は、結局、直接交換することもできます。

江戸時代より、はるか昔は、各集落で、漁師や農家といった得意分野を持つ人々が、それぞれの得意分野の食糧を多めに確保し、必要に応じて、お互いに交換していたでしょう。

しかし、花子さんから大根を買った大介さんは、その日は魚を持っておらず、翌日、魚を釣りました。

これが、お金の一つの役目で、時間を超えて取引を可能にします。

大根も魚も小判(金)も、モノですから、江戸時代の取引は、物と物を物で交換してので、物々々交換の社会だったと言えます。

経済学では、小判(金貨)を商品貨幣論で説明しています。

小判(金貨)が、商品だと言う考え方です。

まず、砂金や金塊をイメージしてください。
金そのものを貨幣(お金)として利用されていた時の話です。

もし、そのような取引が行われたとしたら、重さなどの確認に手間がかかります。また、その金の純度にも不安が残るでしょう。

そのため、幕府が金を鋳造して小判をつくるようになりました。金を溶かして型に入れて、小判にして、純度や重量を保証したのです。



天下統一を果たした徳川家康は、全国の金鉱山を直轄にしました。小判をつくる製造体制を整備し、純度や重量を管理し小判を発行しました。

分かりやすく言うと、小判は、幕府の貴金属、ブランド品、商品になっています。

そう言った意味で、小判(金貨)は「商品貨幣論」で説明できます。

しかし、私は、貨幣(お金)を商品だと捉えるよりも貨幣(お金)はモノであったとシンプルに言う方が、今後、現代の貨幣(お金)とは何かということを、皆さんと考えていく上で、「お金の正体」をお伝えしやすいと思います。

結局は、小判(金)そのもの、その物質に価値があります。

ですから、私は、一昔前のお金を、「物質貨幣論」として説明します。

現在、21世紀に入り、「貨幣制度」は、「物々交換」から「物品交換」を経て始まった訳ではない、また、、物々交換が行われていた事実は見つかっていないと言う説、「新貨幣論」が浮上してきました。そこで、「商品貨幣論」は間違っていると言う話もありますが、ここでは問題にしません。

1971年まで世界の基軸通貨である米ドルは、1オンス(28.35g)=35ドルで、金と交換できました。

世界中のお金も、日本円も、1ドルいくらと言うように為替レートによって交換可能です。

例えば、日米為替レートが、1ドル=100円だったとします。

100円を1ドルに交換して、1ドルを1オンス(28.35g)の金と交換できます。それは、100円と1オンス(28.35g)の金と交換できることと同じです。

それまでのお金は物質である金に依存していたのです。

結局、米ドルは金の代わりであって、当時は、日本円も米ドルと交換して金と交換できました。

このように、世界のお金は、金からはじまり、米ドルと日本円や他国のお金と連結されていました。各国は協定を結び、統一的組織にして、世界経済を一つの全体にしていました。

アメリカが沢山の金を保有していたので、様々な単位で表記された世界のお金を、米ドルを基軸としてまとめる体制があったのです。

それを、ブレトン・ウッズ体制と言います。

ブレトン・ウッズ体制とは

「通貨価値の安定を図るために、金1オンスを35米ドルと定め、ドルに対して他国通貨を固定相場で連結した」

小学館『デジタル大辞典』より

1971年まで、世界中のお金は、ドルを介して、金と交換できたのですから、お金はモノだったと言えます。



しかし、1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が突然 、米ドルと金の交換停止を発表しました。

それが、ニクソン・ショックまたは、ドル・ショックと呼ばれるもので、金本位制の終焉です。

本位とは、基本とするもの、裏付けの意味です。金を基本にお金の価値を保証、裏付けていたのです。

1971年8月15日を境に、お金はモノではなくなったのです。

●私たちは、歴史的に前例のない時代を生きることになりました。

それまでのお金は、物質、モノ、金(きん)だったので、これから現代の貨幣(お金)とは何か考える上でも、物質貨幣論として説明する方が一般的に伝わりやすいと思います。

では、お金に成りえるモノを考えます。

例えば、あなたが砂漠のど真ん中で取り残されたとします。そこに、水と黄金を持った神さまが現れました。

水か黄金のうち、どちらか一方をくれると言われたとしたら、当然あなたは水を選ぶでしょう。

ある映画にこんなセリフがあります。

「砂漠の民は黄金より水を尊ぶ」

灼熱の砂漠では、水は生命線とも呼べるでしょう。だからと言って、水がお金になるかと言えば、そうはなりません。

なぜなら、モノがお金として使われるためには、ある程度の条件が必要だからです。

皆んなが欲しがるモノ。
持ち運びしやすいモノ。
保存しやすいモノ。
そして、希少性があるモノ。

などがあげられます。

1971年、現代のお金はモノではなくなりましたと書きました。

では、現代のお金、現代貨幣はモノではないとしたら何なのか?

ここでも、例え話をしましょう。

日本に、とある大富豪がいたとします。

彼の通帳には、200兆円の預金がありました。

もし、彼が、200兆円の預金を、銀行におろしにいったらどうなるでしょうか?

結論から言うと、どんなに頑張っても、約100兆円までしかおろすことはできません。

もしも、日本中のお金をかき集めることができたとしても、または、世界中の日本の紙幣や硬貨をかき集めることができたとしても、約100兆円しかないのです。

なぜなら、手に取ることができる紙幣や硬貨は、この世に、約100兆円しか存在しないからです。

正確には、日銀(日本銀行)のホームページには、日本で流通している紙幣の合計は、122.0兆円と書かれています。他に硬貨もありますが、ここでは分かりやすく約100兆円にします。

では、日本のお金は、いったいどのくらいあるのでしょうか?

現在、日本円は約1,000兆円あります。

それなのに、大富豪が200兆円をおろしに行っても、100兆円しかおろせないのです。

900兆円は、海外にあるんだ、と言う話ではありません。

日本円、1,000兆円は、この世にあるのですが、目に見えて手に取れる形としてあるわけではないのです。

では、900兆円は、いったいどこに行ったのでしょう。

実は、データ、記録として存在しているのです。

馴染みのある言葉で言うと、電子マネーです。キャッシュカードで持ち歩くデータだと考えてもらって構いません。

厳密に言うと、キャッシュカードは、銀行に預けてある預金を出し入れするためのカギのようなもので、カード自体に電子マネーを預金しているわけではありません。

でも、事実上、キャッシュカードで預金を持ち歩いているのと同じことです。

つまり、「お金は数字の情報」です。

それが、現代のお金の正体なのです。

なんだ、そんなことか、と軽く流さないでください。●

これが、現代のお金についての、究極の真理です。●

そして、「現代貨幣理論」の結論になると、私は思います。

「現代貨幣理論」とは「Modern Monetary Theory」の日本語訳です。英語表記の略称で「MMT」とも「MMT理論」とも言います。

数年前、米国では「現代貨幣理論(MMT)」が大きく話題に上がり、日本にも飛び火しました。MMTは以前から米経済学界の一部で時折話題にはなっていたそうで、そこまで新しい理論ではなかったようです。



それが、突然、大きな注目を浴びたのは、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員(民主党、ニューヨーク州)が、MMTを語ったからです。彼女は、SNSで大旋風を巻き起こし、最年少の女性下院議員(当時29歳)となった時の人でした。29歳の若きアメリカの超有名人の国会議員は、議会で大論争を引き起こしたMMTの立役者です。

日本でも話題になったのは、彼女は議会においてアメリカの医療費があまりにも高いことに対して、MMTを根拠に、「お金はつくればいい」と主張したことによります。そこで「そんなことをしたら国が破綻する」と猛反発されましたが、彼女は「破綻しないことは借金国日本が証明している」と反論したのです。ちょうど日本は、国の借金が危ないと騒ぎ立てられ、とある政治家の老後2,000万円が必要との発言が物議を醸す等、長らく続く不景気の中だったので、国内でも、もてはやされ議論されましたが、一般には普及しませんでした。

その原因は、内容が難解で、また、「現代貨幣理論(MMT)」が、「物質貨幣論(または商品貨幣論)」の対義語になっていないからだと考えます。

MMTは、最終的に、政府がお金をたくさん使えば、世の中は豊かになり、また、政府がお金を支出することそれ自体は、それほど悪いことではないと言うことを伝えるための理論でした。ただ、お金を使いすぎたら、問題が起こることもあるから、世の中の景気を見ながら、使うようにしましょうという考え方です。

「現代貨幣理論(MMT)」は、現代の貨幣(お金)がどのように創造されていて、現代の貨幣が何であるかを理論的に説明する試みでした。

しかし、その論点の中心は、貨幣とは単に負債の記録である。政府は必要とあらば、支出を躊躇わなくてもいい。国が、どんなに国債を発行しても、債務不履行(デフォルト)はしないのだから、インフレ2%までは、お金をばら撒いても大丈夫など、そのことをもとに社会保障を充実させる等、経済をどうすべきかと言う内容の理論でした。

「貨幣とは単に負債の記録である」と言うことは、「お金は借金だ」と言う意味ですが、何を言っているのか理解できません。借金とは、誰かからお金を借りると言うことです。お金を借りることは、良くない感じがしますが、MMTで考えると、むしろ、お金を借りることは良いことである理由を説明します。

ただ、一般の人にはその重要性が伝わりにくく、結局、現代貨幣は、何かと言う正体が見えてきませんでした。経済学は本当に難しいのです。

そのため、伝えるべき相手の気持ちを理解し、現代の貨幣(お金)は、何であるかをシンプルに、できるだけ分かりやすい言葉を使い、丁寧に説明する必要があると、私は思います。

私は経済学者ではないので、経済学者の方が仰っている「現代貨幣理論」と、わたしが一般の方に伝えたい「現代貨幣理論」は、少し違います。

経済学者は、現代貨幣の仕組みを基に、どのような経済政策を行うべきか、または、可能かを理論で説明しようとしています。

私は、恋愛の駆け引きのようなものではなくて、「好き」なら「付き合ってください」と言うように、物事をはっきりさせたいと思います。

私は、もっと単純なこと、現代の貨幣は、いったい何なのかを、理論的、または隠喩的に、伝えたいのです。

お金が何なのかと言うことを明らかにすることが最優先です。

お金は、事実として、数字の記録です。

必要なだけ、数字をつくれば良いと言うこと、お金はいくらでもつくれる事実です。

この事実は、今世紀に体験できる最も美しい発見、常識がひっくり返る大事件になるはずです。

お金の正体は数字の情報です。

ですから、私は、現代の貨幣から経済を論じようとする時、「現代貨幣理論」を「情報貨幣論」とするのが適当だと結論づけました。

1971年までのお金はモノで「物質貨幣論」、それ以降は、数字の情報なので「情報貨幣論」と言うことです。

昔の貨幣(お金)は、価値あるモノでした。

その代表的な存在が金、元素記号がAuである物質です。

それを金貨や小判にして、商品にしたとしても、結局は、純度や重量で計られるのです。

ですから、1971年までの貨幣(お金)は、物質貨幣です。

そして、現代の貨幣(お金)は、数字の情報です。

日本円の全て、約1,000兆円は、1,000,000,000,000,000で、1と0が15個並んだ、数字の情報です。ずらりと並べた数字の羅列です。

1,000兆円は、全てが数字の羅列、情報なのですが、全部がコンピュータの中の情報のままだと不便ですよね。

全員が、スマホやカード、もしくはマイクロチップのようなものを持ち歩いていて、それに、お金と言う数字の情報を管理できるような仕組みがあり、何処でも、田舎でも、自動販売機でも、個人の取引も、全て可能であれば、現代の紙幣や硬貨は、基本的に必要ありません。

しかし、現代の日本社会では、まだまだ、紙幣や硬貨がないと不便です。簡単に、持ち歩き、買い物できなければ、意味がありません。そのための販売機や、全ての商店なども、まだ、対応できていません。

ですから、日本のお金、1,000兆円のうち、今のところ、約1割の100兆円は、手軽に持ち運べるように紙幣や硬貨にしてあるのです。

壱万円札は、10,000と言う日本円の数字の情報を、日本銀行が保証した、銀行券と言う、紙です。

紙幣は、皆んなが安心して信用して使えるように、偽造防止の透かしやチップが埋め込まれた紙に特別な印刷をした紙です。

近年、仮想通貨と言うものが、常識になりましたが、そもそも現代の貨幣も仮想通貨のようなものだとも言えます。

どちらも数字の情報なので、必要ならつくれると言うことです。

どちらにしても、世界中のお金は、数字の情報であることに、間違いはありません。

私たちが、普段、買い物などで使っている紙幣や硬貨は紙や金属です。

その紙や金属そのものには、大した価値はありません。子ども銀行の紙幣や、ゲームセンターのメダルコインと変わらないでしょう。

ゲームセンターのメダルコインで遊んだことがあると思います。

メダルコイン販売機に、百円玉を入れたら、メダルコインが10枚出てきます。

メダルコイン1枚は10円だと言うことです。

ただ、このゲームセンターで、メダルコインを1,000枚まで増やしたとしても、壱万円と交換することはできません。

これは、法律で決められているからです。

ゲームセンターはゲームを楽しむことが目的なので、お金を増やすための賭け事は、国が禁止しています。

パチンコ屋には、4円パチンコと言うものがあります。

パチンコの球、一つが4円と言う意味です。

パチンコ屋さんに行って、1,000円札をパチンコ台に投入すると、玉が250個出てきます。

パチンコの話をしているのは、パチンコが合法だとか違法だとか、良いとか悪いと言う議論をしたいわけではありません。

今後、お金のことを深く学ぶために、いろいろと、イメージしてもらうためです。

あなたがパチンコをして、球を250個から10,000個に増やしたとします。

パチンコ玉、1個は4円だったので、四万円と交換することができます。

このことを、等価交換と呼びます。

なかには、等価交換でないパチンコ屋さんもあります。

パチンコ玉を買うときには、玉1個が4円なのに、換金、お金に交換するときに、3.5円のお店もあります。

ですから、そのお店では、玉10,000個を換金すると、三万五千円になります。五千円は、遊戯料だと考えてください。

このパチンコ屋さんは、等価交換にはなっていないと言うことです。

これは、各パチンコ屋さんの、営業方針で決まっているようです。

このような、交換比率を、換金率、レートと言います。

レートと言う言葉は聞いたことがあると思います。

日米為替レートは、毎日のように、新聞やニュースで流れてくる言葉です。

話は戻って、ゲームセンターのメダルコインとパチンコ屋さんの玉には、決定的な違いがありました。

ゲームセンターのメダルコインは、お金に交換できませんが、パチンコ屋さんの玉は、お金に交換できます。

厳密には違うかも知れませんが、お金に換えることができる、交換できると言う意味から、パチンコ玉は、兌換パチンコ玉と言うことができます。

これに対して、メダルコインは交換できないので、不換メダルコインと言うことになります。

お金に交換できるかできないかは、ゲームをする人のモチベーションが違うことには説明は要らないでしょう。

ここで、改めて、1971年に何が起きたかを思い出してみましょう。

アメリカのお金、米ドルは、世界の基軸通貨です。基軸通貨とは、世界中のお金の中心に米ドルがあると言うことです。

1971年以前は、米ドルは金と交換できる兌換紙幣でした。

しかし、1971年8月以降の米ドルは金と交換できない不換紙幣になりました。

その頃、私は2歳だったので、全く記憶にはないのですが、ニクソン・ショックと言うぐらいですから、世界に大きな衝撃が走ったのでしょう。

もし、パチンコの玉が、お金に換金できなくなるとしたら、パチンコ産業は、大打撃を受けるはずです。そして、パチンコ産業は、営業の方法から、何から何まで変えなくてはいけなくなりそうです。

でも、1971年の出来事で、世界中が米ドルを使わなくなったかと言うと、そうはなっていないようです。未だに、米ドルは世界の中心にあり基軸通貨です。

金と交換できなくなった米ドルは、パチンコとは違い、なぜか、世界の信頼を失っていないようです。現代のお金は、金と交換できると言うモチベーションは要らないのかも知れません。

巷で、「金本位制」が話題になっていますが、世界の通貨の流通量を考えると、とても非現実的な話です。

第八章でご説明しますが、お金は膨張して増え続けます。それに対して、金は有限です。例えば、壱万円は砂金一粒と交換することになるかもしれません。せっかく、情報貨幣で世界経済を発展させてきたのに、また、物質貨幣に戻る話をするなんて、地球の自転を逆にするような話です。

また、金の奪い合いになる世界になるかもしれません。

世界の経済が破綻したら、金の価値が上がるから、金を買うんだと言う話も、ちょっと違います。

もし、世界経済が破綻したら、真っ先に、水や食べ物の価値が上がります。庶民は金を売って食べ物を求めるので、金は安売りされます。余裕のある人は、その金を手に入れ、経済が立て直した後に、金の価値が上がるのを待って利益を得るでしょう。

●お金の存在は、この広い世界での、現象です。

古い文化の残る町の中心は、学校であったり、お寺であったり、役所であったり、公園であったり、皆んなの集う場所です。そこで、社会の秩序が生まれていました。

現代では、町の真ん中には、銀行のビルがあります。お金が、崇拝の対象にされ、皆んなが集う場所になっています。

そこで、お金は、無から数字として生まれます。まるで、神さまが、現れるような奇跡が起こっています。

お金そのものは、単なる数字の情報なのですが、私たちが、何か意味づけをするので、お金のリアリティを台無しにしています。

お金は、もともと、自然界に存在はしてはいませんでした。人類が、純粋につくりだした、便利な数字の道具です。

お金は無限に発行できると言う、ありのままから、流れては、消えていく数字として理解することが、広い意味で、お金をコントロールすると言うことです。

この世界にある、お金の主人になるために、さらに深く、歴史を振り返ることが重要です。

次の章では、お金の起源を探ってみましょう。



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