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2022年06月27日

お金は無限に発行できる 第二章 パラダイムシフト(解放)

お金は無限に発行できる 第二章 パラダイムシフト(解放)


第二章 パラダイムシフト (解放)

皆さんにお願いがあります。皆んなお金持ちの世界なんて夢物語だと思わないでください。これは理想論ではなく現実論です。

現実論は、プライドを捨てて降伏することでもなければ、効率を求めて譲歩することでもありません。少しだけ、身の周りの生活を彩っているものごとについて、考えてみましょう。ほんの一昔前までは、そのほとんどのことは、夢物語だと思われていました。

アインシュタインが、光は粒なんだと言い、それが量子力学に発展し、技術革新により、私たちは、超能力を手に入れました。スマートフォンを持って、画面を見ながら会議だって飲み会だってできます。誰もが、映画スターのように、自分の好きなように撮影して、監督になって、動画をアップできるなんて、不可能、無理だと、決めつけていました。

電気自動車が走り回って、そろそろ自動運転が普通になって、遠隔で手術をしたり、ドローンの宅配サービスも、不思議ではない時代になりました。

経済は発展しているのに、ほとんどの人が、お金に困って、時間を失っています。現代社会には、洗濯機、掃除機、冷蔵庫があり、スマートフォンやパソコンだってあるのですから、自由な時間が沢山あるはずです。GPSを使いこなし、知らないところに行ったり、ネットで出会い、愛を育む時代になったのに、皆んなでお金持ちになるための情熱にブレーキをかける理由はないはずです。

ベーシックインカムの話は、怠け者の戯言ではありません。誰かが失敗の朝を迎えて、涙する時、何処かで勝者が生まれています。あなたの夢が砕け散って、誰かが拾ってチャンスにしているかもしれません。あなたが積み上げた成功に、誰かがつまずき、家族を失っているかもしれないのです。

戦争で亡くなった人を埋葬するのではなく、武器や兵器を埋葬できたら、そう考えてみるのと同じで、万引きする子どもが、どんな気持ちで育ったきたのだろうと思えることが大切で、成功者の話しは良く聞くのに、勇気を出した敗者を斬り捨てる世界。愛は知恵になるはずだから、国民基本給という、皆んなお金持ちになる方法を真剣に考えてみました。

近い未来、世の中の、きり役、切られ役を越える「パラダイム」が、「シフト」するでしょう。

「パラダイム」と言う言葉をご存知ですか?

もともとは、科学用語だったそうですが、現代では、思い込み、既成概念ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組みなどを、パラダイムと表現しています。

●図

「娘と老婆」と言う一枚の隠し絵があります。若い女性(娘)と年老いた女性(老婆)の二通りに見える多義図形と呼ばれています。脳が喜ぶ絵と言われています。それは、自分の、ものの見方に、ハッとするからだと思います。

娘は、左奥を見ていて、左耳が老婆の左目に当たります。老婆は左方向を見ており、口が娘の首飾りに当たります。若い世代では娘を最初に認知する人が多く、年配の世代では老婆を最初に認知する割合が高いと言われています。

「7つの習慣」で、紹介されて有名なので知っている人も多いと思います。

最初に認知したように見えてしまう!?


   
意見や考え方は、自分が持っているパラダイムから生まれるので、あなたが意識しているしていないに関わらず、育った環境や今までの経験則で、新しい情報も、TVや新聞、YouTubeなど、過去に認知したように判断してしまうのです。

政治の世界には、「EBPM」、「エビデンス・ベースド・ポリシー・メーキング」と言う言葉があります。「事実を基に政策を立案する」と言う意味です。ここで大切なのは事実を基にすると言うことです。事実とは、実際に起こったこと、真実、嘘ではないことです。しかし、事実とは違うこと、真実ではない嘘を、どのように見極めれば良いのでしょうか?そこには「正しい知識を得る方法」、推論が必要です。

その方法は、二つあります。

一つ目は、「帰納法(きのうほう)」と言われ、できるだけたくさんの事実や事例、前例から、導き出される傾向をまとめて、結論につなげる方法です。名探偵コナンが、犯人を探す時に、複数の証拠を並べて、見当をつけていく、論理的推論方法です。帰納には、事例を並べる、証拠を集め、共通点を探すと言う意味があります。

例えば、オレンジにはビタミンが含まれている。レモンにもビタミンが含まれている。みかんにもビタミンが含まれている。三つの事実が実験によって、判明、はっきり明らかになったとします。この場合、三つの共通点は、黄色の果物です。ですから、黄色の果物には、ビタミンが含まれると言うことになります。

他にも、ビタミン豊富な赤いイチゴもあります。ですから、「帰納法」は、なるべくたくさんの事例、サンプルを集め、並べることが重要になります。そうすれば、黄色の果物でなくても、ビタミンはあると、正しい知識を得ることができます。

つまり、有名人が言ったから、YouTubeで言っていたから、新聞にも書いてあったから、だからこうらしいと言う結論の出し方ではなく、自らの実験、経験を通して、結論を導き出しましょうと言うことです。

正しい知識は、自らの経験を通してのみ得られると言う考え方を、「経験論」と言います。

「経験論」の父と呼ばれる「フランシス・ベーコン」は、自分の経験、実験によって、たくさんのサンプルを集め、結論を出せば、正しい知識を得ることができると言いました。

その「経験論」、経験なんか当てにならないよと言う考え方もあります。その根拠は、人間の五感は当てにならないと言うことから来ています。「経験論」に対して「合理論」の立場をとる人たちの考え方です。

私たちの五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、によって得た情報は、絶対に正しいとは言えないからです。誰にでも、見間違い、聞き間違いがあります。そのように不完全である五感から得た知識は、必ずしも正しくないと言う人たちは、どうやって正しい知識を得ようとしていたのでしょうか?

それが二つ目の「演繹法(えんえきほう)です。「演繹法」は、アリストテレスが提唱した定番の思考ツールです。「演繹法」は、「Aである」と言う大前提から、「Bである」と言う結論を理性的に導く方法です。演繹法の大前提を普遍的命題と言います。これは絶対に間違っていないと言う普遍的命題から理性的に推理することによって正しい知識を得る方法です。

「Aである:人間は、ご飯を食べる」
「Bである:アイドルも、ご飯を食べる」

人間は、絶対にご飯を食べると言うのが、普遍的命題になり、大前提になります。ここに、「アイドルは、人間である」と言う小前提を持ってくると、「アイドルは、ご飯を食べる」と言う正しい結論が導き出されると言うことになります。これが、よく使われる、三段論法です。

「演繹法」にも弱点があります。例えば、そのアイドルが、人間ではない可能性がゼロではないと言うことです。現代では、「AIアーティスト」がそうです。そうなるとご飯を食べることはありません。このように命題が覆されたり、設定が誤っていたりすると、結論も変わってしまうため完璧ではないのです。

もう1つ、重大な弱点があります。

「演繹法」は、三段論法ですから、議論をする際には、とても良い道具になります。ただ、すでに分かっている常識、普遍的命題から思考を展開するため、新たな発見ができない、イノベーションが起こりにくいのです。「地球は宇宙の中心にある、全ての天体が地球の周りを回っている」と言う普遍的命題があると、「地球は回っている」と言う新しい発見の話ができなくなるのです。

ベーコンは「演繹法」の欠陥に気づいて、そればかりに頼っていてはいけないと考えました。地球を癒し、人類皆んなが幸せになるための偉大な発見をするためには、何度も実験を重ね、七転び八起きで、トライアンドエラーを繰り返し、挑戦しなくてはいけない。常識に囚われてはいけないと主張しました。今でこそ実験という行為は科学の基本中の基本になっています。古代から1,000年以上も続いてきた演繹法の常識を疑ったおかげで、その意義が確立されることになりました。簡単ではないのですが、新たな知識を少しづつ積み重ねていくためには、多面的なアプローチが必要でしょう。

「本来あるべき経済学」を学ぶ時、「センス・オブ・ワンダー」が必要だと言いました。パラダイムシフトするためには、正しい知識を得ることが大切です。そして、常識を疑う必要もあります。他人の意見ではなく、客観的に判断するために、既成概念を壊すためにも、経済の、自然の不思議さに感動することが大切だと思います。

「セレンディピティ」と言う言葉があります。何かを探しているときに、探しているものとは別の価値を見つける能力・才能を指す言葉です。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指します。ひらたく言えば、ふとした偶然をきっかけに、ひらめきを得、幸運をつかみ取る能力のことです。

しかし、人間の感覚は完璧ではないので、帰納法の弱点を補うためには、思い込みを捨てることが重要です。実験や観察をするためには、固定観念、先入観を取り除くことが必要です。

例えば、UFOを見た、幽霊を見た、叫び声が聞こえたなどの、自分の五感を通して得た情報を絶対的な真実であると、強く思い込んでしまうことがあります。人間は、光の三原色を認識して世界を見ています。人間の網膜の錐体細胞には、赤、緑、青を感じる三種の要素があり、全てが興奮すると白に見えます。三つの要素がいろいろな割合で、興奮することにより、合成して、全ての色をつくり出し、外の世界を見ているのです。三色の絵の具を混ぜて、全ての色をつくることができるのと同じ原理です。しかし、人間には認識できなくてもカラスには見える紫外線や、コウモリには聞こえる超音波、犬の嗅覚で認識できる世界など、人間には、知覚できない世界があります。

個人的な環境や経験、精神上の筋金からくる偏見があります。私が子供の頃は、ゲームばかりしていたらバカになると言われていましたが、今では、IT業界が世界を動かしています。私の子供の頃は体育座り当たり前でしたが、内臓を圧迫し、腰に負担がかかると言うことで、最近、廃止になっている学校も増えているそうです。最近の若者は根性がないと言う人がいますが、本当にそうでしょうか?そのような個人の思い込みを偏見と言います。

次に、フェイスブックや、SNSなど人が集めるところでの噂話を聞くことによる思い込みもあります。今では、ノストラダムスの大預言を恐れる人はいませんが、多くの人が信じていました。新聞やテレビなどを、読み聞きしたまま鵜呑みにするのも同じです。YouTubeなどを見たり、情報を選んでいるつもりでも、刷り込みを受けている可能性があります。

サブリミナルコントロールという言葉があるように、人間は、何度も見たり、聞いたりしていると、それを真実だと錯覚する傾向があると言われています。実際に、サブリミナルコントロールは、物理的には規制されています。1995年9月26日に日本放送局(NHK)が、1999年には日本放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的な表現方法を禁止することを明文化しました。

日本放送協会 国内番組基準
第1章 放送番組一般の基準
第11項 表現
6 通常知覚できない技法で、潜在意識に働きかける表現はしない。

日本民間放送連盟 放送基準
第8章 表現上の配慮(59) 視聴者が通常、感知し得ない方法によって、なんらかのメッセージの伝達を意図する手法(いわゆるサブリミナル的表現手法)は、公正とはいえず、放送に適さない。

ある番組で、壱万円札の福沢諭吉の顔を0.2秒挿入してあり、総務省はサブリミナルな手法として判断しました。また、国民的人気番組の「踊る!○○○御殿!」でも、急激に光が点滅する箇所があるため、「放送法に抵触する」と指摘され、サブリミナル問題と合わせて、行政処分されたこともあります。

サブリミナルの「サブ」とは、潜水艦、サブマリンの「潜」と同じ意味で、自分では気づかない間に、潜在意識が見てしまうと言う話です。

都市伝説的に、映画館で、人間には知覚できない短い映像、例えば、コーラの画像を、フィルムに一瞬挟み込むと、映画の終了後に、観客がこぞってコーラーを買いに行くと言う話を聞いたことがあるかもしれません。これは、あくまで、物理的な話です。

しかし、「政府の負債」を「日本の借金」と言い、言葉のイメージを歪曲させて伝えたり、綺麗なアナウンサーに白い服を着せて、何かを言わせたり、「消防署の方から来ました」と言い、消火器を売る営業方法があったり、有名人と一緒の写真を、見せてから始める講演会や、選挙の候補者が自転車に乗って、手を振るイメージ戦略など、全てを規制することはできません。情報の受け取り手が、情報を精査する必要があります。正しい知識を得ると言うことは、何かを身につけることではなくて、ノイズを外すことでしか到達できないものかもしれません。

最後は、有名人や社会的に地位が高い人の言うことを信じてしまう思い込みです。両親が言っている、経済学者が言っているなど権威がある人を簡単に信じてしまう人は多いと思います。そのように人を動かすために、学歴や職歴でマウントを取る登壇者も多いのは、その心理を逆手に利用しているのかもしれません。実際には、権威があることと、主張する話が正しいこととは全く関係がありません。中世において圧倒的な権威を持った教会が唱えた「天動説」は世界の常識でした。私たちは、何を言っているかより、誰が言っているかを、信じてしまいます。

自分の思考パターンに気づくことは、学習プロセスに注意を向ける方法の一つです。私たちは、固定観念、偏見などがあると、正しい知識を得るときに、無意識に、暴れ出さないよう押さえ込んでしまうことがあります。指標となるのが、ある種の不思議な感動です。時に、マスメディアやSNSは、過剰な「雑音」に対する代償行為になります。未来とは、まだやっていないことをするための時間です。

「国の借金初の1,000兆円越え?」

●記事

「日本の借金」こんな見出しで、新聞を読まされたら、頭の中で、意見が固まってしまっても仕方がありません。この本を読めば、自覚によって自分の思考過程を見つめることができます。それは、想像力と良心と言う二つの人間独自の能力を発揮できるからです。社会は何で嘘をつくのだろうと気づくことができるようになり、同時に許すこともできます。この事実が浸透しないのは、「うさぎ」ではなく、情報の「カモ」にされているからです。問題を直感で捉えると同時に、その問題について、理論的に考えることが必要です。しかし、往々にして、人は慣れ親しんでいる領域から離れようとはしません。思考の、ホメオスタシス(恒常性維持機能)は、強く働きますが、パラダイムシフトは可能です。


https://en.m.wikipedia.org/wiki/Rabbit–duck_illusion

「日本に借金がある」と言う言葉を脱ぎ捨てるには、真の知識を得ることです。真の知識を得るために、正しく推論するために、既知の事柄から未知の事柄を明らかにしたいと思います。

背景知識を、丁寧に確認しながら、新しいアイディアを手に入れましょう。「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深いと言ったのは、ソクラテスです。「経済格差」「富の格差」については、諦めや、思い込み、怒りや不満があるため、本当は知りたくないと言う気持ちがあるかもしれません。実際、私は、「経済格差」について、知っていると思っていましたが、知らなかったと、知りました。

「悪の葉っぱに斧を向ける人は千人いても、根っこに斧を向ける人は一人しかいない」

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(詩人)

私たちの想像する、富の分布!?

●今一度、富の格差、その分布について、意味合いを捉えてみます。

正規分布は自然界や人間の行動・性質など様々な現象に対して、よく当てはまるところから来ていました。

例えば、神さまが天から地上の的を狙って、無数の石ころを落としたとします。石ころの落下位置のばらつきを考えましょう。無風状態で, 神さまのコントロールも完璧で、石ころも全て同じ形で、全く誤差がなければ, すべての石ころは狙った的に命中します。

しかし、石ころにほんの少しの傷があったり、風が吹けば流され、それに応じて的への落下点が狂います。石ころの運動が各要因によって、的に当たる、その的からどれだけ外れるかの確率は、正規分布にしたがいます。

小さな影響の積み重ねを、線型結合と言い、石ころは、的を中心に集まり、その周りに散らばっていくことを、中心極限定理と言います。

正規分布の正規は、基準と言う意味ですから、なんとなく正しさを感じます。ですから、私たちは、もしかしたら、富の分布も、身長の分布のように、正規分布になるのが、より自然で、当たり前ではないかと無意識に感じてしまうのではないかと思います。


そして、富の格差、経済格差が問題視されるときのイメージは、下図のような感じで、中間層は少なくなり、正規分布の山は低くなり、より富が多い人と、より富の少ない人が現れていると感じているかも知れません。

(赤い線)


もしかしたら、富の二極化が、中間層が、なくなってしまい、富の分布が二つの山のような形のイメージかもしれません。

もしかしたら、凹レンズのような形で、二極化していると考えているのかもしれません。多分、これはあり得ません。なぜなら、最下層の人たちこんなにいる世界であれば、暴動が起きています。


しかし、実際の富の分布は、下図のようになっています。
通常のロングテールの図は、数学的に横軸が、左になるほど富が多くなり、右になるほど、富が少なくなるように表されていました。それでは、直感的に、理解できないため、ここでは左右を反転させました。



実際は、私たちの周りには、中間層などいません。



私たちの、大部分は、ロングテールの中にいる奴隷です。

この現象は、自然界の謎です。

それでも、人間の知恵と自然の力は、一つに合わせることができます。知識を行動を一つに合わせる「知行合一」と言う言葉があります。真の知識は実践によって裏づけられていなければならないと言う、有言実行のようなイメージです。ここで言うのは、人間の知恵と自然の力は、合一するで、人間の智恵があれば、自然現象を管理、支配することができると言うことです。

知は力なり

ベーコンの「知は力なり」と言う言葉は、知識が多ければ多いほど、人生を生きる力になると学校で教わった人もいるかもしれません。実際は、どうなのか考えてみましょう。

人間の知識と力は合一する。原因が知られなければ、結果は生じられないからである。というのは、自然は服従することによってでなければ、征服されないのであって、作業においては結果を生み出す原則の役目を果たすからである。(ノヴム・オルガヌム アファリズム 第1巻)ベーコン(1561~1626)

ベーコンは、知識を得ることが目的ではなくて、それをどう用いるかが問題だと気づきました。何のために知識を得て、何のために働くのか、最終的には、全人類の幸福に捧げなければならないとベーコンは考えます。ベーコンにとって、知識とは、社会に奉仕すべき力でありました。その意味で、「知は力なり」と語ったのです。「知は力なり」は、「知識は力」なりと言われますが、「知恵は力なり」がより意味が通ると思います。二ユートンは、月は空から地上に落ちてこないのに、何でりんごは木から落ちるのかと考えて、万有引力の法則を発見しました。自然界の謎を解明したので、宇宙開発にも応用されています。

もし、ベーコンが生きていたら、こう言うでしょう。

人間は、パレートの法則に従う自然法則によって起こる「富の格差」の原因を知らなければ、その謎は解明できない。「富の格差」は自然の作業だから、放置したままでは、原則の役目を果たし、さらに格差を生み出すだけだ。人類に豊かな繁栄をもたらすために、まず、自然の摂理に従うことが大切だ。自然に教えてもらうためには、思い込みを捨て、観察や実験を繰り返さなくてはいけない。人間の知恵によって、自然をリスペクトし、自然を享受できれば、自然を夢への滑走路にできる。そうすれば、世界中の皆んながお金持ちに成れる。

そこで、無条件ベーシックインカム、国民基本給です。



結論を先に知りたい方は、第十二章 国民基本給へ


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Posted by ノボブ at 15:33│Comments(0)アイディア
 
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